士民の本国脱走などの禁止をうたった第五番高札です。
愛知県が成立するまでには目まぐるしい変遷(へんせん)がありました。三河(みかわ)では旧幕府領・旗本知行所・寺社領を管理するために置かれていた三河裁判所は,1868(明治元)年に三河県に,同2年に伊那県と改称。また,明治4年7月に版籍奉還で尾張に2県,三河に10県が置かれました。いずれも旧藩がそのまま県に変わっただけです。11月には名古屋県と犬山県を統合して名古屋県とし,三河では10月に伊那県からもどされた旧三河裁判所を加えて額田(ぬかた)県となりました。 美濃にあった尾張藩領などは整理され,木曽川を県境としました。1872(明治5)年には名古屋県を愛知県と改称し,額田県が愛知県に統合されて現在の愛知県が成立しました。 (愛知県公報から)
「三河裁判所」が設置されたのは明治元年4月29日です。6月9日には「三河縣」と改称されます。この間わずか40日程の間に掲示された高札ということで大変珍しいと云われております。 |
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