五番高札 脱国札 三州裁判處


士民の本国脱走などの禁止をうたった第五番高札です。
愛知県が成立するまでには目まぐるしい変遷(へんせん)がありました。三河(みかわ)では旧幕府領・旗本知行所・寺社領を管理するために置かれていた三河裁判所は,1868(明治元)年に三河県に,同2年に伊那県と改称。また,明治4年7月に版籍奉還で尾張に2県,三河に10県が置かれました。いずれも旧藩がそのまま県に変わっただけです。11月には名古屋県と犬山県を統合して名古屋県とし,三河では10月に伊那県からもどされた旧三河裁判所を加えて額田(ぬかた)県となりました。 美濃にあった尾張藩領などは整理され,木曽川を県境としました。1872(明治5)年には名古屋県を愛知県と改称し,額田県が愛知県に統合されて現在の愛知県が成立しました。 (愛知県公報から)
「三河裁判所」が設置されたのは明治元年4月29日です。6月9日には「三河縣」と改称されます。この間わずか40日程の間に掲示された高札ということで大変珍しいと云われております。

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政御一新ニ付而者速ニ天下御平定萬民安堵ニ至リ、諸民其所越得候様
煩慮被為 在候ニ付此折柄天下浮浪之者有之候様ニ而ハ不相済候、自然今日之形勢越伺ヒ猥ニ士民トモ本国越脱走等以多シ候儀堅ク被差留候、萬一脱国ノ者有之不埓之所業以堂シ候上ハ主宰之者可為落度候、尤此御時節ニ付上下奈久
国之御為筋亦者主家之為筋等存込ミ建言以堂シ候者ハ言路ヲ開支公正之心ヲ以テ其旨趣越尽サ勢、依願太政官代ヘモ可申出被 仰出候事
但今後総而士奉公人者不申及、農賣奉公人ニ至迄相抱候節者出処篤与相糺シ可申自然脱走之者相抱不埓出来御厄害ニ立至リ候節者其主人之可為落度候事
慶応四年三月  太政官
右之通被 仰出候間堅可相守者也
三州 裁判處



 
           
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
           

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