1) |
伝本堂跡が残る平坦面の周囲から、石積み(石列)や側溝、石段などを発見し、伝本堂跡を中心とした東西約 50m、南北 約40mの範囲が寺院中心部であったことが確認できた。 |
2) |
伝本堂西側に新しく8.8m×8.3m程の礎石建物を発見し、伝本堂跡との「渡り廊下」と考えられる施設の礎石も確認できた。 |
3) |
伝本堂跡の基壇の東側の石列から、直角に曲がる形で東に延びる石列を確認し、寺院中心部から東の伝三重塔跡・鐘楼跡などへ続く「参道」があったと推測される。 |
4) |
さらに分布調査や草刈りなどの作業により、伝三重塔跡・伝鐘楼跡の建物の礎石の配列がほぼ明らかになり、伝承にある「拝殿」「鎮守」であった可能性が高くなった。 |
特に、本堂を中心とする寺院中心部の範囲をほぼ明らかにすることができたことは、寺域東方の一角が大威徳寺の中の「神社信仰の場」であり、さらに両者を結ぶ「参道」の存在が想定されたことなどと考え合わせると、これまで幻の寺院であった大威徳寺が、徐々にその姿を現してきたと言えます。慶俊が伝える、「三重塔」「鐘楼」などの有無やその位置を確認し、さらに寺院の様相を明らかにしていく上でも、来年度以降の調査につながる、大きな成果を得ることができました。