平成15年度大威徳寺史跡発掘調査報告


下呂町教育委員会学芸員
大威徳寺史跡を今年度初めて本格的に発掘調査する事になりました。
約4ヶ月という期間であったが当初の予想を上回る成果を上げることが出来ました。3年間を予定している調査はまだ始まったばかりであるが、その概要と成果の一端を報告いたします。
山中に建てられた大寺院
下呂市街地から国道257号線を中津川方面へ、車を15分ほど走らせると、御厩野の5差路に至ります。地元の史跡保存会が建てた「大威徳寺道」の看板に従い、日枝神社横の細い坂道を上がり、さらに車一台が通れる山道を1.5km程登ると、大威徳寺跡の遺跡があります。この辺りは、標高740m前後の山中で、御厩野集落からも150mは高い場所にあります。遺跡は東西を谷川に挟まれ、北は牧草地となっていますが、お寺があった頃は湿地帯で、通行も困難であったと言われています。このような山中にお寺があったとは、本当に驚かされます。
書物に残る大威徳寺
大威徳寺が記録に残されるのは、江戸時代に入ってからのようです。八代将軍吉宗の頃に、飛騨代官であった長谷川忠崇が書いた『飛州志』という本には、源頼朝の命令により、永雅上人というお坊さんが建てた寺院で、大威徳寺の僧侶であった慶俊が書き残した記録を紹介し、本堂や山門、三重塔など、いわゆる七堂伽藍が備わった大寺院であったことが記されています。また、同じ頃に書かれた『飛騨国中案内』には、城跡のように見えるが、実はお寺の跡で、有名な文覚上人が建てた寺院だと書かれています。
地元の手で守られた遺跡
戦国時代の「威徳寺合戦」や、天正の飛騨大地震などで、焼失・壊滅したと伝えられ、その後再建されることもなく、山林の中に埋もれてしまいました。しかし、建物の跡などは大変良く残っており、昭和34年には岐阜県の史跡に指定され、同36年には地元の有志によって記念碑も建てられました。戦後の混乱期や昭和40年代の別荘地開発を乗り越え、遺跡が守られてきたのも、故今井精一氏や故渡辺政治氏のような地権者や郷土史家、さらには現在の史跡保存会の皆さんなど、地元の皆さんが、熱心に研究や保護活動を続けられたおかげでしょう。しかし、本格的な発掘調査は行われたことがなく、寺院の詳細は長い間、よく分かりませんでした。
何のための発掘調査か
近年、大威徳寺と同じような山中に建てられた寺院の発掘例も増え、特に飛騨と美濃の国境という、特別な場所に位置する大威徳寺は研究者の中でも注目されるようになってきました。下呂町では、この全国的にも貴重な遺跡を、郷土を代表する文化遺産としてその全容を明らかにし、保護・活用していくための調査を行うこととなりました。今回の発掘調査は、その第一歩として、まず寺院の範囲をはっきりさせることを目的に、3年間の予定でこの7月から開始しました。
予想以上の大きな成果
今年度の調査は、寺院中心部の範囲を確認するため、伝本堂跡を中心とした60×70m
程の範囲を中心に行いました。調査員も含めて12人という小所帯で、前半戦は天候にもあまり恵まれず、雨降りの翌日の水汲みや、やぶ蚊の来襲などに悩まされながらの調査でしたが、次のような成果を挙げることができました。
1) 伝本堂跡が残る平坦面の周囲から、石積み(石列)や側溝、石段などを発見し、伝本堂跡を中心とした東西約 50m、南北 約40mの範囲が寺院中心部であったことが確認できた。
2) 伝本堂西側に新しく8.8m×8.3m程の礎石建物を発見し、伝本堂跡との「渡り廊下」と考えられる施設の礎石も確認できた。
3) 伝本堂跡の基壇の東側の石列から、直角に曲がる形で東に延びる石列を確認し、寺院中心部から東の伝三重塔跡・鐘楼跡などへ続く「参道」があったと推測される。
4) さらに分布調査や草刈りなどの作業により、伝三重塔跡・伝鐘楼跡の建物の礎石の配列がほぼ明らかになり、伝承にある「拝殿」「鎮守」であった可能性が高くなった。
特に、本堂を中心とする寺院中心部の範囲をほぼ明らかにすることができたことは、寺域東方の一角が大威徳寺の中の「神社信仰の場」であり、さらに両者を結ぶ「参道」の存在が想定されたことなどと考え合わせると、これまで幻の寺院であった大威徳寺が、徐々にその姿を現してきたと言えます。慶俊が伝える、「三重塔」「鐘楼」などの有無やその位置を確認し、さらに寺院の様相を明らかにしていく上でも、来年度以降の調査につながる、大きな成果を得ることができました。
遺物も多く出土しました
遺物は、鎌倉時代から室町時代の土器を中心に、約2千点が出土しました。多くは細かく割れた破片で、当時のお坊さんたちが使っていたと考えられる、お碗や皿、鉢、擂り鉢などの食器や調理具が主ですが、香炉や華瓶(けびょう・花活け)など、寺院特有のものも見られます。当時では高級品であった釉(うわぐすり)のかかった焼き物や、中国から渡ってきた青磁の碗や皿なども出土しており、伝本堂跡や西側の建物跡などを中心に、鉄製の釘やカスガイ、古銭なども出土しました。これらの遺物については、まだ整理作業の途中ですが、大威徳寺がどのようなお寺であったかを示す、貴重な資料と言えます。
見学者で賑わった説明会
10月25日に行った現地説明会では、足元の悪い中200人以上の皆さんにおいでいただき、発掘の成果や、出土遺物の一部をご覧いただくことができました。説明会が終わった後、作業員の家までわざわざ感想を伝えに来てくれた方がいたり、説明会の評判を聞いて、93歳と言う高齢にもかかわらず、後から見学に来てくれた女性がいたりと、改めて町民の皆さんの関心の高さと調査に対する期待の大きさに驚かされました。皆様に心からお礼申し上げるとともに、来年度以降も、調査を暖かく見守っていただきたいと思います。




 
           
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
           

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