宗門御改帳で見る「きり志たん御制禁」
美濃国長松村 天明三年
「天明三癸卯年 美濃国不破郡長松村宗門家数人数〆高御改帳」(1783)一冊と宗派別「宗門御改帳」四冊の内三冊があります。前者は名主、五人組頭が名前を連ねた「御請状之覚」になっており、後者は宗派別で、東本願寺宗が一番多く50軒、次に真言宗家数4軒、そして禅宗は1軒です。ここに無い一冊は西本願寺宗(3軒)かもしれません。
「宗門御改帳」にはいずれも最初に正徳元年(1711)に出された「きりしたん御制禁 定」を載せて厳重に守らせ、宗門改奉行所に「御請状」を出させました。
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定
きり志たん宗門ハ累年御制禁
たり自然不審成者有之ハ
申出遍し御ほうひとして
はてれんの訴人 銀五百枚
い流まんの訴人 銀三百枚
立加へ里者の訴人 同断
同宿并宗門の訴人 銀百枚
右の通下さるへし堂とひ同宿宗門
之内たりといふとも申出流品により
銀五百枚下さ流へし加くし置他所より
あらわる々におゐてハ其所之名主并五人組迄
一類共に罪科に於こなわるへき者也
正徳元年五月 日 奉 行
右御請ハ人数〆高帳ニ奉書上候御事
「天明三癸卯年 美濃国不破郡長松村宗門家数人数〆高御改帳 御請状之覚」
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『岐阜県の地名』によりますと、長松村は現在の大垣市長松町・新長松です。村内を美濃路が通り、かっては長松城があり江州佐和山と大垣を結ぶ肝要の場所でした。寛永10年(1633)からは大垣藩領となって幕末を迎えました。明治5年(1872)の村明細帳には家数130軒、人数567人、4ヶ寺となっております。
【参考文献】
『岐阜県の地名』 平凡社 1987年