鳳凰座と七代目澤村長十郎


  下呂市御厩野に「鳳凰座」という古い芝居小屋がある。「文政十年十二月三谷清作」(1827)と銘記のある廻り舞台の座金が保存されていることでも分かるように江戸時代から続く伝統のある芝居の殿堂である。もともとは日枝神社境内にあった農村舞台、当時客席は外露地であった。文政10年〜11年に建築された御厩野村の芝居小屋で、70戸足らずの村で唯一祭礼の楽しみの場であった。明治16年(1883)〜17年現在地に移転して客席を増築した。村中総出で巨木を伐り出し、間口10間(約18b)奥行14.5間(約26b)の巨大な木造建築物を完成させた。以来祭礼に合わせて地芝居が奉納されてきたが、幾変遷を経て最近では毎年5月3日〜4日に地元民による「地芝居」が挙行されている。昭和37年「鳳凰座舞台並びに村芝居」が下呂町文化財に、昭和47年には「鳳凰座村芝居 付台本」が岐阜県重要文化財・重要民俗資料に指定された。
 
 
 
 
 
 雄渾なる筆致「鳳凰座」の引幕は地元旧家相地の十代目当主今井増太郎翁の揮毫である。
 
 
 
 
 
 
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明治17年(1884)に「こけら落とし公演」として「買い芝居」を興行し、地元はもちろん近隣からの来客が早朝から大勢詰めかけ、大入りの盛況であった。
明治17年(1884)は尾上芙雀のちの市川八百蔵、中山喜楽一座が来演した。喜楽はその至芸で評判をとり何度も来演した。
 明治19年同じ一座が呼ばれた。
 明治28年(1895)市川白猿、中山喜楽一座が来演した。
 明治33年(1900)坂東好太郎、坂東蓑助一座が来演した。
 大正4年(1915)市川八百次郎のちの左団次、中村信濃一座が来演した。
 昭和11年(1936)林女長、中山喜楽一座が来演した。
 昭和22年(1947)市川三升のちの十代団十郎、澤村長十郎一座が来演した。
戦後まもない頃のこと、一行五十余名の宿は地元旧家に割り振られた。 「七代目澤村長十郎」が泊まった旧家に、その気骨と人柄が偲ばれる次のような書が残されていた。
 
 
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「うそとおどしと 勝手と無理で 國の栄える はずはない」

「焼け野原 馬鹿者共の 夢の跡」

「かけた茶わんもかるくはほるな 今日まで暮らした中ぢゃもの 物情」

「うらおもて なくて変らぬ 富士乃山」
 
【参考文献】
  『岐阜県重要文化財・下呂町文化財 鳳凰座と村芝居』平成4年 今井精一
     http://suntsujiya.web.fc2.com/sansaku68.htm



 
           
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
           

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