「弘化三年 新助から於登茂」に出された離縁状があります。理由は「我等不埒之儀」となっております。『三下り半 江戸の離婚と女性たち』にはいろいろな例が載っておりますが、「我等勝手ニ付」という理由が多いようです。「然上ハ何方江片付候共 少構無御座候」となっていて、離婚された女性側から云えば一種の免罪符で、再婚できる証明書的な存在でもあったようです。
多くの歌手に歌い継がれてきており、誰もが一度は口ずさんだことがある昭和10年代ころからの大ヒット曲「妻恋道中」は「好いた女房に 三下り半を投げて長脇差(ながどす) 永の旅怨むまいぞえ 俺等のことはまたの浮世で 逢うまでは」これも「我ら勝手に付き」の例でしょうか。