正徳高札 火付札 1711年


江戸幕府は村々に命じ、路傍の一定場所に法度や掟書を記した板札を建てさせました。奈良時代末期からあったと云われますが、基本的なものは正徳元年(1711)に出された 「親子兄弟札、毒薬札、キリシタン札、火付札、駄賃札」などです。この一枚は「正徳火付札」と言われる高札ですが、三百年の時を経て墨字は薄れ、虫害に遭い、庇はなくなっています。しかし全体に残る墨痕の隆起によって判読できます。斜めの写真で「奉行」などがはっきり読めると思います。各行の最初の墨字が残っていることと、板の上縁に四角の打釘痕があることで庇があったことが想像できます。なお、奉行の次に国主である殿様が「□□」と官名を書き、裏面に村名などを書くのですが、ともに不明です。

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一、 火を付る者をしらハ、早々申出べし、 若かくし置に
おゐてハ其罪重かるべし、たとひ同類たりといふと
も、申出るにおゐてハ、其罪をゆるされ、急度御褒
美下さるへき事
一、 火を付る者を見付ハ、これを捕へ早々申出へし、
見のかしにすへからさる事
一、 あやしき者あらハ、 穿鑿をとけて、早々奉行所江
召連来るへき事
一、 火事の節、 地車たいはち車にて荷物をつみのく
へか らす、 鑓長刀刀脇差等、ぬき身にすへから
さる事
一、 火事場其外いつれの所にても、金銀諸色拾いとら
ハ、 奉行所まて持参すへし、若隠置、他所より
あらはるゝにおゐてハ、其罪重かるへし、たとひ
同類たりといふとも、申出る輩は其罪をゆるされ、
御ほうひ可被下事
 右條々可相守之、 若於相背は可被行罪科者也
正徳元年五月日奉 行



 
           
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
           

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