現在の下呂市萩原町の在で事件は起こりました。山長者の都竹家の当主平七さんはきっと山見にでも出かけて事件に遭遇したのでしょう。今なら、「心肺停止状態」と云うところを「絶脈」と云ったんですねえ。いやー、この字句は難解でした。当時の世相や県の対応が窺がえる興味深い文書です。
都竹平七 金弐拾銭 其の方儀本年七月八日其の村 平民今井彦右衛門なる者、熊崎 吉平等と口論より、互いに争闘 之末右彦右衛門は負傷せしを 迷惑に思ひ益田川に投身せしを 奥田兼松救援の際同人に 助力し援け得と雖も已に絶 脈致し居るを種々介抱蘇生 せしめたる段殊勝に付き、為其賞 前書之通り下賜候事 明治13年11月 岐阜縣印