御厩野区所蔵の元禄検地帳その他が、下呂町文化財に指定される機会に現在は198軒になって居る御厩野区全戸に次のような解説文をお配りしました。
一人でも多くの方に関心を持っていただければ幸いです。


元 禄 検 地 帳 / 寛 文 高 帳

元禄検地帳  寛文 高帳

『元禄検地帳』について

  御厩野区で所蔵する通称『元禄検地帳』が他の検地帳及び絵図類と共に下呂町文化財に指定されることになりました。今からおよそ300年前の元禄八年(1695年)、当時の御厩野村の姿を知る大変貴重な資料です。この機会に検地帳から当時の小字と本百姓、家抱、或いは屋敷等について調べてみました。
 昔の小字は残っていますか?
 みなさんの先祖は何処に住んでみえましたか? 

 【註】
本帳の継ぎ目に惣奉行の割り印が押してある。
安永から文久まで6冊の検地帳が残り、代官または郡代の割り印が押してある
小字の次の数字は田、畑等の枚数を表して大小を問わない。
屋敷は含まない。
名前の次の数字は所持枚数を示す。
省略したが次の様な区分けがある。
 上田、中田、下田、下々田、谷田、
 上畑、中畑、下畑、下々畑、砂畑、
田畑は「一間×二間」の2歩から、「拾六間×拾三間」6畝28歩 (小作かいと東・六左衛門)まである。
本百姓27軒、家抱23軒、(内1寺)である。
本百姓の屋敷は「三間×四間」の12歩から、「拾五間×拾三間」の 6畝15歩(東落・平左衛門)まである。
家抱の屋敷は「二間×二間半」の5歩から、「七間半×七間半」の  1畝26歩(林畑・六左衛門)まであるが、10歩、12歩が多い。
古老の話によると「花田、御座、紙屋、下戸、日向、中屋、南」の7軒の時代があった
寛文9年(1669年)『竹原郷田畑高帳』によると次の20軒になって居る。
  「弥左衛門、大畑、中野、神戸、道下、上ハ野、厩垣内、嶋、御座、和合、
   林、酒屋、西田、田ノ尻、的場、小畑、野畑、栃本、田ノ中、ミなミ」
天明8年(1788年)『竹原郷御厩野村差出明細書』によると 「百姓40軒、門屋 7軒、地借6軒、田屋守1軒、1寺、人口262人、石高167石」となって居る。
『飛騨下呂』編集当時(昭和56年頃)元禄検地帳の読み下し文を丹念に書き残して下さった
鈴木タヅ氏、田口利弘氏の労を多としたい。



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元禄八乙亥年二月
飛騨国益田郡竹原郷御厩野村田畑屋舗御検地水帳

【御厩野区蔵】
札立野
(26)
六左衛門7、仁平次1、次兵衛2、六兵衛7、七右衛門9、
(七右衛門家抱与吉屋敷)
下 嶋
(13)
  七右衛門7、六兵衛5、次兵衛1、
西 田
(50)
  六兵衛29、七右衛門21、(七右衛門屋敷)(六兵衛屋敷)
林 畑
(5)
  次兵衛2、六左衛門3、(平左衛門家抱六左衛門屋敷)
池 田
(7)
  平左衛門7、
小作かいと
(14)
  次兵衛9、惣市5、(次兵衛屋敷)
小作かいと東
(6)
  六左衛門5、仁平次1、
小作かいと下
(16)
  仁平次13、六左衛門3、(平左衛門家抱仁平次屋敷)
道の下
(3)
  仁平次2、平左衛門1,(弥兵衛屋敷)(弥七屋敷)
花田かいと
(21)
  平左衛門21、
東 落
(11)
  平左衛門11、(平左衛門屋敷)
田の尻
(24)
  次兵衛13、平左衛門2、六兵衛7、六左衛門2、
(次兵衛家抱四郎兵衛屋敷)
次郎兵衛かいと
(7)
  平左衛門7、
谷 間
(19)
  平左衛門1、六兵衛11、次兵衛7、
此 間
(25)
  平左衛門12、喜助3、七左衛門10、
(平左衛門家抱九兵衛屋敷)(口留番所鋪22歩)
(22)
  七左衛門12、喜助8、六左衛門2、
石くら
(27)
  七左衛門10、喜助17、(喜助屋敷)
ぼた下
(9)
  七左衛門7、喜助2、
あわら
(7)
  七左衛門2、喜助2、六兵衛3、
丸 野
(9)
  喜助4、七左衛門2、次兵衛3、
中の落
(10)
  六左衛門3,仁平次4、次兵衛3、
道そへ
(4)
  惣市3、仁平次1、
前 田
(6)
  七左衛門4、喜助2、
いと向
(4)
  喜助2、市郎兵衛2、
的 場
(3)
  市郎兵衛3、(市郎兵衛屋敷)(市郎兵衛家抱久兵衛屋敷)
家の前
(18)
  次兵衛1、市郎兵衛12、惣市5、
道 下
(6)
  六左衛門1、仁平次5、(市郎兵衛家抱善六屋敷)
八升まき
(11)
  市郎平衛11、
竹のはな
(19)
  平左衛門8、小兵衛4、十助4、仁兵衛2、仁左衛門1、
漆 本
(7)
  平左衛門7、
林 落
(4)
  平左衛門4、
出 田
(20)
  惣市14、次兵衛6、
森 下
(29)
  市郎左衛門29、(市郎左衛門屋敷)
嶋 田
(69)
  市郎兵衛69、(市郎兵衛家抱七郎右衛門屋敷)
(62)
  平助62、(平助屋敷)
三斗まき
(32)
  次兵衛25、市郎左衛門2、仁兵衛5、
(次兵衛家抱由兵衛屋敷)
中ねやま
(2)
  甚兵衛1、仁左衛門1、
野 畑
(32)
  久次32、(久次屋敷)(久次家抱弥助屋敷)
壱斗まき
(10)
  久次4、茂兵衛6、
田の中
(18)
  喜蔵18、(喜蔵屋敷)
向 田
(24)
  喜蔵24、
下 南
(13)
  惣助9、喜蔵4、
前 畑
(22)
  喜蔵5、茂兵衛1、小兵衛6、七左衛門4、仁左衛門4、
仁兵衛2、 (茂兵衛屋敷)(喜蔵家抱久右衛門屋敷)
かみやた
(9)
  喜蔵9、
清水田
(5)
  市郎左衛門5、
度々めき
(9)
  喜蔵8、茂兵衛1、
そ と
(10)
  茂兵衛10、
門 畑
(30)
  茂兵衛30、(茂兵衛家抱源四郎屋敷)
(茂兵衛家抱作右衛門屋敷)
梅の下り
(40)
  茂兵衛40、
中けた
(26)
  茂兵衛21、小兵衛5、
西
(18)
  茂兵衛18、
茶 や
(9)
  茂兵衛9、(茂兵衛家抱善七屋敷)
まやがいと
(34)
  市郎左衛門34、(市郎左衛門家抱山三郎屋敷)
東 落
(22)
  弥七郎7、弥兵衛15、(平左衛門家抱兵右衛門屋敷)
東落中
(6)
  弥兵衛6、
西 落
(5)
  弥兵衛4、弥七郎1、
はば下
(7)
  弥兵衛2、弥七郎3、平左衛門2、
こ や
(13)
  弥七郎12、弥兵衛1、
中のかいと
(3)
  小平衛3、
西のほた
(5)
  平左衛門4、小兵衛1、
中 野
(1)
  小兵衛1、(小兵衛屋敷)(十助屋敷)
はざと
(6)
  十助6、
中のまへ
(9)
  弥兵衛5、弥七郎4、
谷 畑
(2)
  十助2、
丸 田
(3)
  十助3、
小おち
(9)
  十助9、
野 田
(12)
  十助8、小兵衛4、
六升まき
(3)
  小兵衛3、
合渡田
(10)
  半六6、利兵衛4、
ほ こ
(13)
  茂兵衛1、仁左衛門10、小兵衛2、
いの口
(4)
  十助3、茂兵衛1、
和合田
(9)
  源助9、
(17)
  惣助17、(惣助屋敷)
四斗まき
(30)
  仁兵衛13、仁左衛門1、喜助5、七左衛門10、利兵衛1、
口のけた
(31)
  甚兵衛29、十助1、又右衛門1、(甚兵衛屋敷)
杤 本
(45)
  仁兵衛23、仁左衛門22、(仁左衛門屋敷)(仁兵衛屋敷)
上 野
(42)
  甚兵衛11、与四右衛門28、十助1、小兵衛2、
(与四右衛門屋敷)(甚兵衛家抱忠助屋敷)
上岩野
(1)
  六左衛門1、
くらそへ
(13)
  十助8、平左衛門5、
色 田
(23)
  小兵衛13、平左衛門2、十助8、(小兵衛家抱吉右衛門屋敷)
くろいわ
(33)
  又右衛門33、(又右衛門屋敷)
門がいと
(42)
  平左衛門14、六左衛門6、又右衛門2、小兵衛3、
十助8、 阿弥陀寺9、(平左衛門家抱権四郎屋敷)
(平左衛門家抱次郎八屋敷)(阿弥陀寺家抱宗伝屋敷)
酒やがいと
(44)
  久三郎43、半六1、(久三郎屋敷)
中 や
(20)
  久次17、又右衛門3、(久次家抱市右衛門屋敷)
小 畑
(2)
  又右衛門2、
和 合
(30)
  源助30、(源助屋敷)
さげど
(12)
  利兵衛3、半六1、弥兵衛4、弥七4、
東 田
(21)
  利兵衛21、(利兵衛屋敷)
合 渡
(29)
  半六23、利兵衛6、(半六屋敷)
かぢや
(13)
  平左衛門11、弥兵衛2、
寺垣内
(2)
  阿弥陀寺2、
見 座
  (七左衛門屋敷)(喜助家抱喜兵衛屋敷)
  (惣市屋敷)

右之寄
田合
 13町3反3畝歩
此分米
 108石8升6合
畑屋敷合
 6町7畝17歩
  此分米
 32石9斗1合
都合
 19町4反17歩
  此高
 140石9斗8升7合
内6升6合 口留番所鋪
1、銀61匁6分5厘  呉服綿代
1、焼畑合2町5反4畝1歩  見取場  此焼畑午地改に付高入
下川原 惣市、
かとかいと   平左衛門、
うちこし   久三郎、仁兵衛、善七、仁左衛門、十助、小平衛、
大ほら   与四右衛門、七右衛門、吉右衛門、小兵衛、
中 や   久三郎、
わこう   源助、
さけと   弥兵衛、
若 杤   惣市、
穴 洞   久三郎、弥七、弥兵衛、
1,数在野合2反3畝14歩
札立野 村抱
上 野   村抱
下 嶋   同断
中根山   同断
的 場   同断
酒や林   同断、阿弥陀寺、
弓 立   村抱
大威徳寺跡   荒場拾六間・拾弐間 6畝12歩 灘郷高山 宗猷寺抱
同 所   山内 5町1反5畝歩      同断   同寺抱
嶋 田   村抱
右之外除地
境 内  9畝9歩  阿弥陀寺
山王権現宮地  8反3畝10歩  村抱
熊野権現宮地  5反8畝10歩  村抱
熊野権現宮地  1反2畝歩  同断
十王堂地  9歩  同断
除地合 1町6反3畝8歩
右飛騨国益田郡竹原郷御厩野村御検地田畑位付石盛並浮役御小物成焼畑野方等其外除地
遂吟味得御下知水帳相極者也
元禄八乙亥年二月

戸田釆女正内
 
惣奉行
 
小原二兵衛
 
大奉行
 
野中市左衛門
 
右同断
 
辻 又蔵
 
当村御検地奉行
 
鳥居勘右衛門
 
目 付
 
木村園右衛門
 
算 者
 
平竹浅右衛門
 
筆 者
 
尾脇伝八
 
右同断
 
山田才次郎
 
竿 取
 
川崎久右衛門
 
右同断
 
加納半平
 
右同断
 
佐々木源左衛門
 
益田郡竹原郷御厩野村肝煎
 
平左衛門
 
同郡同郷同村組頭
 
茂平衛
 
右同断
 
仁兵衛
 
同郡同郷同村案内者
 
市郎左衛門
 
右同断
 
久三郎
 
右同断
 
小兵衛
 
右同断
 
与四右衛門
 
 墨付170枚蓋紙共



 【御厩野区所蔵】
安永三午年九月(1774年) 『飛騨国益田郡竹原郷御厩野村新田検地帳』
表紙共34枚 本帳の継ぎ目に代官の割り印を押す
  飛騨国益田郡竹原郷御厩野村見取場新開場検地依被仰付六尺一分間竿を以
  壱反三百歩之積検地相極者也  
御代官 大原彦四郎 印
安永三午年九月(1774年) 『飛騨国益田郡竹原郷御厩野村新田検地帳』
  表紙共8枚 本帳の継ぎ目に代官の割り印を押す   
御代官 大原彦四郎 印
文化十一戌年六月(1814年) 『飛騨国益田郡竹原郷御厩野村新田検地帳』
  表紙共9枚 本帳の継ぎ目に郡代の割り印を押す   
飛騨郡代 榊原小兵衛 印
文化十四丑年八月(1817年) 『飛騨国益田郡竹原郷御厩野村新田検地帳』
  表紙共10枚 本帳の継ぎ目に郡代の割り印を押す   
飛騨郡代 芝與市右衛門 印
弘化元辰年八月(1844年) 『飛騨国益田郡竹原郷御厩野村新田検地帳』
  表紙共22枚 本帳の継ぎ目に郡代の割り印を押す   
飛騨郡代 豊田藤之進 印
文久三亥年三月(1863年) 『飛騨国益田郡竹原郷御厩野村新田検地帳』
  表紙共8枚 本帳の継ぎ目に郡代の割り印を押す   
飛騨郡代 増田作右衛門 印 



 【岐阜県資料館所蔵】
文久三亥年三月(1863年) 『飛騨国益田郡竹原郷御厩野村新田検地野帳』
   
郡代 増田作右衛門 印



 【参考写真】 「元禄検地帳(正本と写し)とその後の新田改帳」
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寛文九巳酉年(1669年) 則正村肝煎  五兵衛
御厩野村肝煎 弥左衛門
竹原郷田畑高帳
二月五日

【地蔵寺所蔵】
乗政村  御年貢合  163石9斗6升3勺 京升計立
   田畑合  29町6反3畝31歩
     
宮地村  御年貢合  110石5斗2升6合4勺 京升計立
   田畑合  20町8反5畝23歩
  (狩倉、惣右衛門、野尻、浜井場、新七、榑谷、上野尻、起方又八、起方吉助
      田畑合5町8反11歩 宮地村に含まれる)
     
御厩野村  御年貢  75石3斗6升4合6勺 京升計立
   田畑惣合  13町5反3畝25歩
  (弥左衛門2町7畝、大畑、中野、神戸、道下、上ハ野、厩垣内、嶋、御座、
 和合、林、酒屋、西田、田ノ尻、的場、小畑、野畑、栃本、田ノ中、ミなミ)
(竹原郷) 御年貢惣合  352石9斗1升5合9勺
   田畑合  64町3畝7歩

右達て所望ニ付写焉遣ス、只今ニては費不用之品不顧令書写之、
寛文九巳酉より文政九丙戌年迄百五十八年に成
文政九酉之春写之
他見不許
御厩野村花田
今井 貞則 写
持主  
丹羽和兵衛

 【註】 次の様な書き込みがある
弥左衛門より五代之孫写之 弥左衛門
乗政村真言宗八まん宮社領
宮地村禅宗地蔵とう領
ミまやの村禅宗阿弥陀とう領 田方5畝24歩
安国寺領宮地村古高場 次郎八
安国寺領ミまやの村鳳凰山大威徳寺  田方1反6畝14歩 畑方1反1畝29歩
   
  参考文献 『飛騨下呂』史料1  昭和58年



 
           
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
           

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