語ればとほき七百年
飛騨の山々秋更けて
ここは美濃路と境なる
褐せし衣に杖や笠
群ら伏す芒かき分けて
今来し方を見てあれば
懸かるも淋しき眺めなり
文覚上人その人ぞ
汝諸国を経めぐりて
父の菩提や母のため
三界三世の佛恩に
み旨を受けて幾歳や
はからずここに杖引きて
暫し休らひ行かんとて |
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建久文治の頃かとよ
妻恋う鹿の声かなし
山路の方をたどりくる
法師の姿ぞみられける
道辺のほとりに佇みて
白雲遠く峰々に
これぞその頃名も高き
鎌倉殿のみ言には
霊地の在らば告げよかし
有縁無縁の衆生や
報いて伽藍を建てなむの
鞋に結ぶ草の露
来つれば遥けき都かな
傍の石に架けにけり |
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きつきつ渡る山風に
遠藤武者と名を呼びし
袈裟の色香の風しみて
悟ればむなし空蝉の
熊野の山や那智の瀧
道理知れば昨日今日
ああ吾ながらうとましや
立上がらんとせし折に
水の面に立つ風に
一天にわかに掻曇り |
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想ひはいつかその昔
吾も若さの花かずら
迷いし罪障の深さよと
断ちて現世のえにし草
顕密二宗を究め来て
愚かなりしか繰り言の
数珠にて袖をうち払い
前なる方に池ありて
波さわぐよと思う間に
雷鳴すごく鳴り渡る |
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こわ何事と言う内に
目にもとまらぬ一條の
おどり上がらん有様に
文覚しかと合掌し
忽ち止にて雷鳴は
雲晴れ上がる池の上
またがり乗りたる小童と |
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篠つく雨の波間より
雲かと見えて白龍の
はていぶかしき事なれと
尚も念じてありければ
波おだやかに納まりて
白龍いつしか牛の背に
変じて彼方に去り行けり |
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この気瑞さを目のあたり
是こそまこと求めたる
吾を憐れみこのごとく
あな有り難しありがたし
申し具しなば忽ちに
堂塔高く峰を抜き
朱のてすりや龍の棟 |
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眺めて文覚思うよう
霊地にあれや神仏も
導き給いしものならん
いそぎこの由鎌倉に
成るや三寶大伽藍
瑠璃珍寶もきらやかに
いらかを連ねる荘厳さ |
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本堂五間四方にて
鎮守は熊野伊豆箱根
塔は三重大日や
大黒堂や地蔵堂
東坊南坊聖林坊
池坊満月吉祥坊
坊数およそ十二坊
はるか門前和泉橋
遠く望めば虹を画き
雲紫の糸を垂る
鎌倉右府の頼朝公
北条四郎に畠山
大名小名一山に
駒を繋げばそれよりぞ |
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安置は大威徳明王ぞ
白山四所を請じたり
阿吽に開く仁王門
鐘楼堂に講堂や
西坊北坊寶光坊
多聞竹林福成寺
七尾七坂谷越えて
その結構のうるはしさ
近より見れば玉蓮に
げに現佛の浄厳地
政子の君も侍りしや
和田の兵衛や三浦党
集うその日の美々しさよ
御厩野とは名付けたれ |
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二代将軍頼家も
舞を見たりと伝えたる
さわあれ移る人の世や
栄え亡びて三百年
弘治二年の春なれや
遠山左近友勝が
攻むるを迎ふ三木方
精鋭伏せて時待ちて
軍馬いななき騎虎の声
矢声に交じる雄たけびに
名こそ哀れや武士の |
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詣で来たりしつれずれに
舞台峠も程近し
鎌倉北条足利と
時戦国の麻衣
福岡城の城主にて
兵を率いて飛騨路をば
三郎左衛門尉一族が
この山内に決戦す
旗差し物や馬じるし
刀槍触れて鉄火散り
屍の山を積みにけり |
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惜しや由緒の名刹も
兵火にかかり大方は
勝に乗りたる遠山勢
民家にまでも放火すと
哀れその日の戦ひに
伝えて残る懸松に |
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よしなき兵の放ちたる
跡も残さず亡失す
竹原郷の村々の
物の本にも誌るされし
鎧をぬいで懸けたりと
床しき人の名は誰れぞ |
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続いて乱る天正の
突如揺るがす天地の
僅かに残る堂塔も
元に返さん術もなく
郡上郡は長滝の
かなしき墨の筆とりて
末書は天正十五年
星は変わりて年流れ
代までは細々法燈の
軒に差入る月影に
沙門一人に甲斐もなや
移りし先は高山の |
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世は十三年の霜の秋
亡びる様か大地震
跡形なしや一朝に
多門院の慶俊が
移る阿明院経巻に
当時の様を書き残す
後の世にとぞ調べ草
下りてはるか元禄の
絶えなんとしては続けども
かすかに残る普明院
み佛背に参らせて
宗猷寺とは伝えたり |
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それより後は跡絶えて
茂みにしげるかや芒
されど弥生の春にきて
引けばなつかし清水坂
登れぬ制にありけりと |
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訪ずる人の影もなく
夢かと言うもあわれなり
一日杖をこの山に
これより上は尼法師
語る古老の物語 |
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米搗平や馬場の跡
般若の谷のせせらぎに
跡と知られるその辺り
ほろほろちるや山桜
和田の兵衛が植えたりと
秩父の杉や鎌倉の
たずねば暮れる春の日よ
近より見れば草むらの
夕月淡き石肌に
むしたる苔のあわれさよ |
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観音平に茶の木畑
行けば程なく本堂の
山鳩なきて飛び立てば
肩にかかるも淋しやと
言える桜の色しのぶ
銀杏の跡はいず方ぞ
家路をさして帰る身に
中に五六基五輪塔
七百年の春秋や
むしたる苔のあわれさよ |