渡辺真砂路氏が作家としての文才を遺憾 なく発揮されたのが、この七五調長文の『大威徳寺事蹟由来和讃』と『三石地蔵尊和讃』です。現在では解釈がちょっと変わって来ておりますが、以前はこのように考えられておりました。
まあしかし詮議は後にして、七五調の名文にとくと触れて見てください。
合掌

大威徳寺事蹟由来和讃・三石地蔵尊和讃


渡 辺 真 砂 路  作

大威徳寺事蹟由来和讃

語ればとほき七百年
飛騨の山々秋更けて
ここは美濃路と境なる
褐せし衣に杖や笠
群ら伏す芒かき分けて
今来し方を見てあれば
懸かるも淋しき眺めなり
文覚上人その人ぞ
汝諸国を経めぐりて
父の菩提や母のため
三界三世の佛恩に
み旨を受けて幾歳や
はからずここに杖引きて
暫し休らひ行かんとて
建久文治の頃かとよ
妻恋う鹿の声かなし
山路の方をたどりくる
法師の姿ぞみられける
道辺のほとりに佇みて
白雲遠く峰々に
これぞその頃名も高き
鎌倉殿のみ言には
霊地の在らば告げよかし
有縁無縁の衆生や
報いて伽藍を建てなむの
鞋に結ぶ草の露
来つれば遥けき都かな
傍の石に架けにけり
   
きつきつ渡る山風に
遠藤武者と名を呼びし
袈裟の色香の風しみて
悟ればむなし空蝉の
熊野の山や那智の瀧
道理知れば昨日今日
ああ吾ながらうとましや
立上がらんとせし折に
水の面に立つ風に
一天にわかに掻曇り
  想ひはいつかその昔
吾も若さの花かずら
迷いし罪障の深さよと
断ちて現世のえにし草
顕密二宗を究め来て
愚かなりしか繰り言の
数珠にて袖をうち払い
前なる方に池ありて
波さわぐよと思う間に
雷鳴すごく鳴り渡る
   
こわ何事と言う内に
目にもとまらぬ一條の
おどり上がらん有様に
文覚しかと合掌し
忽ち止にて雷鳴は
雲晴れ上がる池の上
またがり乗りたる小童と
  篠つく雨の波間より
雲かと見えて白龍の
はていぶかしき事なれと
尚も念じてありければ
波おだやかに納まりて
白龍いつしか牛の背に
変じて彼方に去り行けり
     
この気瑞さを目のあたり
是こそまこと求めたる
吾を憐れみこのごとく
あな有り難しありがたし
申し具しなば忽ちに
堂塔高く峰を抜き
朱のてすりや龍の棟
  眺めて文覚思うよう
霊地にあれや神仏も
導き給いしものならん
いそぎこの由鎌倉に
成るや三寶大伽藍
瑠璃珍寶もきらやかに
いらかを連ねる荘厳さ
     
本堂五間四方にて
鎮守は熊野伊豆箱根
塔は三重大日や
大黒堂や地蔵堂
東坊南坊聖林坊
池坊満月吉祥坊
坊数およそ十二坊
はるか門前和泉橋
遠く望めば虹を画き
雲紫の糸を垂る
鎌倉右府の頼朝公
北条四郎に畠山
大名小名一山に
駒を繋げばそれよりぞ
  安置は大威徳明王ぞ
白山四所を請じたり
阿吽に開く仁王門
鐘楼堂に講堂や
西坊北坊寶光坊
多聞竹林福成寺
七尾七坂谷越えて
その結構のうるはしさ
近より見れば玉蓮に
げに現佛の浄厳地
政子の君も侍りしや
和田の兵衛や三浦党
集うその日の美々しさよ
御厩野とは名付けたれ
     
二代将軍頼家も
舞を見たりと伝えたる
さわあれ移る人の世や
栄え亡びて三百年
弘治二年の春なれや
遠山左近友勝が
攻むるを迎ふ三木方
精鋭伏せて時待ちて
軍馬いななき騎虎の声
矢声に交じる雄たけびに
名こそ哀れや武士の
  詣で来たりしつれずれに
舞台峠も程近し
鎌倉北条足利と
時戦国の麻衣
福岡城の城主にて
兵を率いて飛騨路をば
三郎左衛門尉一族が
この山内に決戦す
旗差し物や馬じるし
刀槍触れて鉄火散り
屍の山を積みにけり
     
惜しや由緒の名刹も
兵火にかかり大方は
勝に乗りたる遠山勢
民家にまでも放火すと
哀れその日の戦ひに
伝えて残る懸松に
  よしなき兵の放ちたる
跡も残さず亡失す
竹原郷の村々の
物の本にも誌るされし
鎧をぬいで懸けたりと
床しき人の名は誰れぞ
     
続いて乱る天正の
突如揺るがす天地の
僅かに残る堂塔も
元に返さん術もなく
郡上郡は長滝の
かなしき墨の筆とりて
末書は天正十五年
星は変わりて年流れ
代までは細々法燈の
軒に差入る月影に
沙門一人に甲斐もなや
移りし先は高山の
  世は十三年の霜の秋
亡びる様か大地震
跡形なしや一朝に
多門院の慶俊が
移る阿明院経巻に
当時の様を書き残す
後の世にとぞ調べ草
下りてはるか元禄の
絶えなんとしては続けども
かすかに残る普明院
み佛背に参らせて
宗猷寺とは伝えたり
     
それより後は跡絶えて
茂みにしげるかや芒
されど弥生の春にきて
引けばなつかし清水坂
登れぬ制にありけりと
  訪ずる人の影もなく
夢かと言うもあわれなり
一日杖をこの山に
これより上は尼法師
語る古老の物語
     
米搗平や馬場の跡
般若の谷のせせらぎに
跡と知られるその辺り
ほろほろちるや山桜
和田の兵衛が植えたりと
秩父の杉や鎌倉の
たずねば暮れる春の日よ
近より見れば草むらの
夕月淡き石肌に
むしたる苔のあわれさよ
  観音平に茶の木畑
行けば程なく本堂の
山鳩なきて飛び立てば
肩にかかるも淋しやと
言える桜の色しのぶ
銀杏の跡はいず方ぞ
家路をさして帰る身に
中に五六基五輪塔
七百年の春秋や
むしたる苔のあわれさよ



三石地蔵尊和讃

帰命頂礼三石の
今より数えて七百と
時の豪僧文覚が
呼びし昔の恋の闇
刃に消えしその人の
一木三体地蔵尊
大威徳寺は鳳慈尾山
忍辱慈悲の御妙相
流れる時は戦国の
三木の兵と遠山勢
地蔵菩薩と申するは
七十余年のその昔
遠藤武者は盛遠と
袈裟の色香に踏み迷い
追福念じて彫みたる
その一尊におわします
花の御堂の奥深く
能化の済度垂れ給う
世は乱れたる麻衣
しのぎを削る阿鼻地獄
   
続いて天正霜月の
大威徳寺の堂塔も
折こそ多聞の慶俊は
菩薩を背に山路越え
そのままここに安置して
国人守りまいらせて
その折手植えの四季桜
歳に六度の花開く
ああ有り難き地蔵尊
百万遍の数珠くれば
如何に重たき罪負うも
南無や大悲の地蔵尊
  天地崩す大地震
紅蓮の焔なめ尽くす
煙にむせつ御堂より
たどりて着けり三石や
春秋すぎて幾めぐり
今に伝える地蔵尊
六字の名号そのままに
色も不思議や法の華
有縁無縁の隔てなき
如何ほど深き苦に落つも
功徳は漏れじ福寿海
南無や大悲の地蔵尊



 
           
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
           

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