下呂石物語 Part2 大畑遺跡


 下呂で一番古い特産物 −− それは凡そ2万年も昔から湯ヶ峰一帯から産出された「下呂石」でした。下呂石は、あるときは原石で、ある時は半製品で、又あるときは小川谷や長洞谷に落ちて飛騨川を流されたりして、100kmも140kmもの遠く迄運ばれて居たことが確認されています。難しく云うと「ハリ質黒雲母安山岩」【吉朝則富氏】といわれる下呂石は「サヌカイト」と並んで鋭く剥がれる性質から、石ヤリを作り、矢ジリを作る材料として珍重されました。

石皿破片とつまみ型石器
 

矢ジリ、石錐
石ヤリ 最長 6cm
異形石器はチャート


打製石斧はたくさん出土した
 


磨製のものはさすがに少ない

 平成3年頃、御厩野地区の圃場整備が行われ「大畑遺跡」からは夥しい量の下呂石破片が出土しました。この辺りは昔も今も御厩野の一等地で、なだらかな傾斜が南に面し小谷と湧き水に恵まれ、山と川に近からず遠からずの安全地帯でした。2ヶ年に渡って石鏃、土器片を集めたのですが、矢ジリ、石錐、石斧、石棒、石刀、そして縄文、弥生土器破片から時代が下がって平安時代の山茶碗破片、鎌倉時代の黄瀬戸破片まで連綿と祖先たちの生活を物語る証拠が出土しました。

縄文土器片
 
土器、石鏃共に約9000年前の
縄文草創期の物が有ることが
確認されました。


 屋号「大畑」の丹羽英一郎氏によると写真と同形の「御物石器」があったが現在は行方不明ということです。

信州系と関西系が入り交じって出土
 

朱色がのった破片
山茶碗破片

 この遺跡は下呂石削片の量から想像すると、長期に渡って石鏃製造工場として受け継がれてきた事がわかります。因みに97%の下呂石に対して、2%のチャート、1%の黒曜石と思われるが後者はもっと少ないかもしれません。

はっきりしないが模様がある石
ペトログラフ かも?
 

御物石器



 
           
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
           

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