板札 御達書 笠松縣


板札と呼ばれる薄い板に書かれた明治2年、笠松縣の御達書です。
幕末の美濃は、総高約65万石のうち、幕府領が約18万石、75家に及ぶ旗本領が11万石、大垣藩10万石を筆頭に7藩、そして国外藩である尾張藩12万石をはじめ3藩が領有・支配していました。 明治政府は慶応4年(1868)4月15日、美濃・飛騨両国の幕府領収公に成功すると、笠松に裁判所を設置、同月18日総督および権判事2名を任命して、朝廷直領の管轄に当たらせました。同月25日、笠松裁判所を廃して「笠松縣」と改められました。明治4年7月、美濃・飛騨両国に8県が設置され、11月22日美濃の国一円を管轄する岐阜県が誕生しました。
今日の行政区域に近い岐阜県が誕生するのは、明治9年8月21日です。
参考文献 『岐阜県の地名』平凡社

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御 達 書
宮堂上方之家来或ハ
大政官内密御用抔与相名乗
村方江立越へ押而宿ヲ取、愚俗ヲ
欺幾金銭ヲ祢多里、又浪人体
祢宜山伏抔之類、徘徊致し
相対勧化押乞ヲ致者於有之ハ
以来見聞次第差留置、時
宜ニ与里、用捨南久搦取早々
訴出遍幾者也
笠松縣
巳六月御役所



 
           
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
           

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