真砂路さんのゴタ話


地元では親しみを込めて「まさじさー」と呼んでおりましたが、
かなりの酒豪でした。呑めばこんな「ゴタ話」も飛び出して
話題豊富な人でした。一体どこからこんなネタを仕入れて来られた
のか? やわらかいお話を一席!!!


飛 騨 の 「ゴ タ」 話
渡 辺 真 砂 路

 「性談」は、ワイ雑であるが、この世界の表現形態には、その時代の民度や風俗史がうかがわれて面白いものがある。
 飛騨の地方では、このことを「ゴタを切る」と言って、そのかくされた愉しみが語られて来たが、以下は少々露骨で恐縮だが、私の地方に実際にあったゴタ話。ただし人名だけはこの場合、若干仮名に代えた。
 大正の初め頃まで生きていた「彦七」という体格のよい老爺があって、田舎の御多分にもれず典型的な好人物。この人がよく話したという「ゴタ」に、
「おらの若い時のこっちゃが、暑い夏のことでナア、おっ母ァが太いモモタを丸出しにして昼寝してござったで、オラもついおかしな気になって、断りもせずにお母ァの上に乗ってしまった。すると目を覚ましたお母ァが、子供のクセに、親のボボをせるとはなんちゅう親不孝者奴が、とエラク怒られたので、そんなら抜かず、と言ったら、抜けばなお親不孝になるぞョ、とヨケイに叱られた」
 この話の判断、聞かれた人達は、そこからどんな「真実」を発見されるであろうか。
 次は、私の子供の頃「安さ」という片足チンバの人が私の家へ百姓仕事に来たが、その人の話である。
「安さ」が夕食後、自宅の炉端で藁仕事をしていると、近所の「源さ」という男が酒に酔って来て、炉の上座に坐っていた「安さ」の女房を、有無を言わさず仰向けにおし倒してしまった。女房が「ありゃ、ありゃ、ハイルが安さ、どうすりゃええかえ」そこで気のよい「安さ」が「おしゃ、どうでもせよ」と答えたので、二人は、その蓆敷きの場で完全に遂行してしまった。この話を私の家の祖父にした「安さ」の言葉が、天衣無縫であった。
「いくらなんでも、ちったァ人前ということがあるでのう」
 この「安さ」は、人に気前がよい代わりに、人にも気前のよいことを要求した。「安さ」の近くに住む「重さ」の後妻「おかねさ」は、なかなかの発展家で、前記の「源さ」が通ったが、「安さ」にはどうしても応じない。ゴウを煮やした「安さ」は、その夫の「重さ」に、「源さ」ばかりで自分には甚だ片手落ちであるフンマンを訴えた。煙管を口に、おっとりと聞いていた「重さ」の裁断は、明快で直截であった。
 「そりゃァ、なんと言ったって、おかねが悪い」
 これ等の話題提供者は、ほとんどが明治以前の生まれである。考えようによっては、こんな人達こそ、最も自然に「本能的」にものが言えたのではあるまいか。
 おしまいに、これはわたしの地方とすぐ山続きである木曾で話している「笑い話」の一つ。いわゆる「ゴタ」としてはこれ等が本格的なサンプルであろうし、恐らく飛騨でもこれと類似の「ゴタ」があるに違いない。
 嫁にやった娘が、その晩に親許に帰ってきてしまった。びっくりした母親が、「どうして今頃もどって来たぞい」娘が「おら家を出るとき、三ッ目にゃァ帰って来いと言ったずら、いま、ちょうど三ッ目が済んだからのう」親もあきれたが、仕方なく「お前達の仲は、ええかい」「中はええが、口元が痛い」これには親もたまらず怒り出し、側の火吹竹を取って娘を打とうとすると、娘が、「ちょうど、その位いの太さやった」いよいよあきれた母親が、しまいには愛想を尽かし「昔から、馬鹿に付ける薬は無いと言うが、お前のような、クソダワケは、ツバでも吐きかけてやらず」済ました娘「矢ッ張り、あのときにツバをつけさりましたわえ」
 このような「ゴタ」は、もはや聞くことはあるまい。それだけに時代が変わったが、万事に怜悧で、裏面で計算的に肉体を提供するような時代相と比べたら、このような馬鹿話の方が、よっぽど朗らかで陰湿性がない。



 
           
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
           

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