鳳慈尾山大威徳寺史跡保存会報告


平成7年10月〜11月
 下呂町ふるさと歴史記念館において「大威徳寺展」開催
   大威徳寺の由来を説明するパネル、写真による展示説明
   実物展示は阿弥陀寺所蔵の懸け仏一面、軸、茶臼、出土陶器片、秩父杉板等
   会期中2000人余の入場者に現地地図、益田郡誌コピー等を配布

平成9年8月
 国立歴史民俗博物館助教授小野正敏先生来訪、出土陶器片に平安時代「灰釉陶器」があると指摘される
   NHK高山支局長池之端甚衛氏、取材来訪
   NHKローカルニュースにて神奈川大学教授網野善彦先生が解説され「国境の聖地である」と発言される

平成11年7月
 奈良在住、仏教美術研究交流会星野直哉氏、2度に渡る現地調査を経て『飛騨春秋』11月号に「大威徳明王彫像とその周辺〜下呂大威徳寺遺跡への視点〜」を発表される
   これに先立ち、同誌10月号に「史跡大威徳寺の最新事情」を書く

平成11年11月
 地元字威徳寺土地所有者並びに賛同者にて史跡保存会を発足
   会長 今井正直氏(後に医学博士今井直人氏に継ぐ)
   特別顧問 星野直哉氏   会員 13名

平成11年11月28日
 御厩野公民館において、星野直哉氏を迎え保存会設立記念講演会「大威徳寺と仏教美術」を下呂町ふるさと文化財団の応援を得て行う
   「大威徳寺の成立は天台宗山岳仏教の修法の拡がりのなかで見る限り、諸堂宇の形式、懸仏聖観音菩薩像の尊容等から推して平安時代と言わざるを得ない」と言う説に90名以上の聴衆感動をおぼえる

平成11年11月29日
 星野氏、恵那郡加子母村法禅寺蔵の薬師如来坐像一躯を平安時代作と鑑定
   「この地方に平安時代の古代寺院があった証左」と考えられる
   『飛騨春秋』12年12月号「十一世紀前半期彫刻に関する考察〜岐阜県下における新出作例二件について〜」に詳述

平成12年5月
 保存会事業として、奈良国立博物館「明王」展を星野直哉氏の案内にて見学
   参加者10名  怒りと慈しみの佛たちの中から特に大威徳明王に注目
醍醐寺五大明王像、大覚寺五大明王像、岐阜来振寺五大尊像軸、唐招提寺大威徳明王像、妙法院銅鋳製大威徳明王像、等々に遭う

平成12年9月
 下呂町第四次総合開発計画の中で「大威徳寺発掘調査」として予算措置を伴って決定されたことは画期的なことである
   下呂町長は平成14年度に学芸員を採用して発掘に掛かると明言される

平成12年10月
 保存会事業として、星野直哉氏案内にて京都、奈良を廻る 参加者8名
京都東寺の現存する最古の五大明王像その他の仏像群に圧倒される
滋賀石馬寺の大威徳明王像は等身より大きいわりに表現は穏和で牛に動きがある
安土桃山城趾発掘現場、急な石段の両側に羽柴秀吉など武将の屋敷跡が続く
奈良に一泊して夜の興福寺五重塔などを見る
奈良不退寺の五大明王像は子供が怒った時の表情と言われ静かに直立する
平城京発掘現場を廻る、朱雀門を見て規模の大きさに驚く
女人高野室生寺に山岳寺院の建ち方を見る 屋外ではわが国で最も小さいと言われる美麗な五重塔(高さ16.1b、平面が方2.45b、台風被害で再建されたばかり)をみて我が大威徳寺の三重塔の位置を考える

平成13年2月3日
 下呂観光会館において「下呂町民憲章推進大会」が開催される
   OHPを使って「大威徳寺史跡研究」発表
 対象 下呂町内小学校高学年児童、中学校生徒700人、その他一般

平成13年4月1日
 保存会員総出にて大威徳寺史跡の掃除に出役。泥よけと雪害倒木の切除、除去に奮闘する。

平成13年4月16日
 星野直哉氏、山下裕子氏(浜松市在住)大威徳寺史跡来訪 案内する。 山下氏 メールにて「稀にみる、立派な寺院史跡だ」と。

平成13年4月26日
 梶原拓岐阜県知事 随員30人程にて大威徳寺史跡来訪 田口教育長案内説明する。大威徳寺調査に弾みが付くことを期待したい。

平成13年6月30日
 星野直哉氏顧問辞任

平成13年7月13日
 三重大学名誉教授八賀 晋氏来訪。今井孝幸氏、小池英雄氏案内

平成13年10月21日
 大威徳寺史跡整備草刈りに保存会員8名出役。「大威徳寺跡」の標柱を本堂前に建てる。

平成13年11月12日
 下呂町里山歩き事業にて130名程来訪。進藤、今井、小池にて現地説明。

平成14年2月27日
 下呂町新年度予算に大威徳寺発掘調査の為の調査学芸員設置費700万円決まる。

平成14年3月10日
 大威徳寺史跡整備に保存会員9名出役。仁王堂前に「大威徳寺跡」の標柱を建てる。

平成14年4月
 下呂町教委に堀 正人学芸員着任。

平成14年4月25日
 堀 正人学芸員と保存会員との顔会わせ会を神明山荘にて行う。出席14名。

平成14年6月2日
 小池英雄氏依頼にて、金山郷土史会、下呂郷土史会を案内する。

平成14年6月7日〜8日
 文化財審議委員と合同にて研修旅行。参加者7名。総員16名(丹羽氏は委員)
   堀学芸員案内、勝山平泉寺。規模の大きさに驚く。苔の絨毯が印象的。6百余と言う坊跡が石畳と共によく残って居る。福井市一乗谷朝倉氏遺跡視察。
   小浜市妙楽寺、神宮寺、明通寺、若狭歴史民俗資料館視察。どの寺でも秘仏が今では常時開扉されて居て拝観でき、見学者には有り難いことである。

平成14年6月11日
 三重大名誉教授八賀 晋氏(考古学)、岐阜大助教授早川万年氏(歴史学)、史跡整備委員に就任受諾。

平成14年6月26日
 千葉県佐倉の国立歴史民俗博物館に小野正敏助教授(考古学)を訪問。史跡整備委員就任受諾。田口教育長、堀学芸員、小池同行。

平成14年7月18日
 御厩野公民館に於いて、大威徳寺跡発掘調査地元説明会開催 出席者20名。
   町教育長挨拶、酒井主幹から説明会の趣旨、調査に関する協力の依頼について。
   堀学芸員から現在の進捗状況、発掘調査の概要について説明。

平成14年7月21日
 史跡整備、下草刈りに会員9名出役。伝本堂西側に階段状の石組を見つける。伝池跡の下段に更に2段の池跡を確認する。末端排水路に石畳みを確認する。

平成14年7月26日
 八賀教授、早川助教授来訪、酒井主幹、堀学芸員、小池にて現地案内。

平成14年8月23日
 下呂町教育会の「下呂の歴史研修」班に大威徳寺史跡並びに南北街道案内、参加者14名。

平成14年10月18日
 第34回ふるさと講座において、堀 正人学芸員「大威徳寺雑考〜いわゆる山林寺院の空間構成から見た大威徳寺」について講演。於町民会館、聴衆約80名

平成14年11月22日
 歴博 小野助教授来訪 夕食会5名出席 「山寺サミット」を開くよう話が出る
  23日 現地案内会員8名 教委2名同行 「山間にこれだけ立派な寺院が存在したことに改めて驚かされた。中世の寺院で、現状でこれだけ遺構の残る寺院は全国的にも少なく、調査により遺跡の重要性が証明され、将来の活用もある程度明確になれば、現在県指定史跡でもあり、国指定史跡に格上げする事もさほど困難ではないと思われる。」とのコメントを頂く。

平成14年12月1日
 史跡の詳細な測量に入るということで会員10名にて現地の草刈り、除伐を行う

平成15年2月23日
保存会総会並びに勉強会を公民館において行う
堀学芸員より「中世城館の視点から見た大威徳寺跡」について話を聞く
「福井平泉寺の例の如く、山岳寺院が城郭的性格を付与されることは多い。濃飛の国境に近く、南北街道を眼下に望む立地や、乗政城、宮地城との関連から室町時代、戦国期に本格的な城郭の体裁を整えていったと見るべきであろう」
「御厩野口留番所」界隈に関連して小池が話をする
「江戸時代3萬8千石と言われた飛騨は度々飢饉におそわれた 天保時代大凶作にて松皮、柳の花にて餅を搗きて食し、餓死者疫死者相次ぎ野にも里にも屍横たわる惨状が続いた
天保4年臨時無役米願留 によると8月下呂郷六ケ村夫食として180俵 萩原郷他に300俵 10月には下呂郷へ1000俵の米が御厩野口留番所を通った
天保7年臨時無役米手形留 によると11月野尻村へ米200俵 下呂組へ米300俵 麦100俵 尾崎村へ300俵 萩原町村へ300俵が口留番所を通って移入された
下原口を通った米麦等はもっと多かった」

平成15年3月26日
保存会員、区役員にて町道13号線通称威徳寺道の補修工事を行う
生コン16立方米  町より支給 3日ほど通行止め

平成15年4月27日
史跡整備作業 草刈り雑木切り溝さらえ等に会員10名出役

平成15年4月28日
御厩野公民館に於いて、大威徳寺跡発掘調査地元説明会開催 
町教育長挨拶、 堀学芸員から今年度の発掘調査及び関連事業について説明

平成15年5月25日
阿弥陀寺木村住職をお願いして伝本堂跡と五輪塔前にて有縁無縁佛の供養を修する
竹原小、中校生対象に堀、小池にて説明会を催す 生徒参加者15名 岐阜新聞取材

平成15年6月16日〜7月31日
町民会館ロビーに於いて「大威徳寺遺物展」開催さる
町文化財聖観音菩薩坐像ほか石像仏頭3点、茶臼、陶器片など多数展示

平成15年7月11日〜12日
文化財審議委員と合同にて研修旅行 参加者5名 総員14名 
堀学芸員案内にて、日吉大社参拝、国宝、重要文化財に指定されている社殿を拝観
日吉大社では猿が神使とされているが、御厩野日枝神社にも33aの猿2匹が祀ってある 比叡山に登る 根本中堂など拝観 国宝殿に重文大威徳明王が祀ってある 光背がある
釈迦堂など拝観して、南禅寺近くに宿をとる
12日早朝より高尾山神護寺をもうでる 多宝塔安置国宝木造五大虚空蔵菩薩を拝観する 槇尾山西明寺にもうでる 国宝重文1万点余を誇る栂尾山高山寺をもうでる
国宝石水院にてしばしくつろぐ 国宝鳥獣人物戯画はここにある
京都文化博物館に陰陽道展、隣接する重文旧日銀京都支店を見学して帰路につく

平成15年7月22日
かねて決定していた10名の作業員にて大威徳寺跡の発掘いよいよ始まる
感慨無量のものがある
3年計画にて、本年は伝本堂跡を中心としたトレンチ調査である
23日 町長、助役、教育長に御礼の挨拶廻りする

平成15年7月31日
史跡整備検討委員八賀先生、早川先生、小野先生 指導に来られる
午後1時現地視察指導

平成15年8月6日
小郷多聞坊供養祭参加

平成15年9月28日
仁王堂から直路・般若谷を経て多門坊までの古道の道明けと草刈り
途中国有林を通る

平成15年10月19日
周辺道路の草刈り

平成15年10月20日
寺域内通路の草刈り

平成15年10月25日
午後1時半より現地説明会開催さる
200余名の参加者を迎え、関心の高さに喜ぶ
奈良より星野直哉氏駆けつける

平成15年11月23日
小野助教授来訪、現地説明のあと古道を仁王堂から多聞坊まで歩く
途中山門の在処を探す
民宿山正にて堀学芸員、保存会員との勉強会開く

平成16年3月
下呂市・加子母村有志にて史跡をめぐる交流会 於加子母民宿山正 参加者25名

同年7月
史跡の環境整備 案内看板の設置

同年10月

発掘調査現地説明会開催 参加者多数
出土品多数展示 灰釉陶器多口瓶 古瀬戸香炉 青磁稜花皿 中国青磁・白磁など


同年同月
堀学芸員・保存会会員にて能登石動山五社権現に研修旅行

同年11月
江戸東京博物館学芸員斎藤慎一氏の講演会「濃飛国境の古代寺院、大威徳寺が語りかけるもの」 於加子母公民館

平成17年4月
草刈り、環境整備事業に11名出役

平成18年11月
相原精次氏講演会「鎌倉幕府の大威徳寺=文覚上人の足跡を通して」於加子母公民館

平成19年2月
岸和田牛滝山大威徳寺、夏見廃寺など研修旅行

同年3月
160頁余に及ぶ「下呂市文化財調査報告書第1集」として「岐阜県指定史跡鳳慈尾山大威徳寺跡 平成15年〜18年度範囲確認調査報告書」出る

同年3月
堀正人学芸員 5年間の勤務を終え離任 送別会 於神明山荘

平成20年4月
千葉・佐倉の歴博から史学博士馬場伸一郎氏下呂市教委に着任

同年7月
星野直哉氏「岐阜県の仏像―濃飛地域彫刻史への新視点」講演会 於岐阜市宇佐県図書館
聴衆230人余(岐阜新聞)

同年12月
草刈り、史跡整備作業 9名出役

平成20年8月
歴博小野正敏教授 岐大早川万年教授 三重大八賀晋教授による「山寺サミットin下呂温泉」開催 於JAひだエーピク

同年10月
草刈り、環境整備事業 参加者7名

同年10月
信州金峰山牛伏寺大威徳明王、国宝松本城研修旅行 参加者7名

平成21年9月
草刈り、史跡整備作業 6名出役

同年11月
真言宗高野山 奈良興福寺研修旅行 参加者7名

平成23年6月
草刈り、史跡整備作業 8名出役

同年11月
横浜三渓園研修旅行 参加者7名

平成29年T1月
台風にて寺域内の倒木多数 区長以下十余名出役作業

平成30年3月
県職三浦係長視察 県・市・地権者にて倒木処理 砂利道入る
御厩野区のボランティア団体となり、作業時の障害保険の対象団体となる  

同年7月
寺域の草刈り、環境整備事業を行う 参加者9名

同年11月
寺域の草刈り、環境整備事業を行う 参加者8名



 
           
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
           

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